@article{oai:nfu.repo.nii.ac.jp:00003030, author = {岡田, 徹 and OKADA, Tohru}, journal = {現代と文化 : 日本福祉大学研究紀要, Journal of Culture in our Time}, month = {Mar}, note = {本稿では,「福祉と開発の人間的基礎」を,森有正というわが国では稀有の思想家,哲学者の人間思索をとおして考究した.  ここ【中篇】では,この人間思索をさらに具体的に《感覚-経験-思想》という思惟の道程に沿って考えてみた.  森有正の場合,人間思索は,感覚をその最初の一歩として,《感覚-経験-思想》という道程を辿って深められる.この道程は,実に興味深いことであるが,渡仏後,森有正自身が歩んだ実生活上の道そのものであったことである.  先ず「感覚」については,ここでは感覚の純化である「純粋感覚」に特化して討究した.森有正や,森有正が兄事する彫刻家の高田博厚はこの純粋感覚に,精刻な言葉を与えて肉薄している.ここは「圧巻!」である.  次に「経験」は,森有正哲学の中枢概念にあたる.森有正は経験を,「感覚が純化し,自己批判を繰り返しつつ堆積し,そこに自己のかたちが露われて来る」ものであるとする.  最後の「思想」の段階に到って,すなわち「経験」を言葉で定義する段階で,森有正の筆はピタッと止まる.「実を言うと私は絶望的である」と苦しい胸の裡を明かして,「思想と経験」-「これはいわば哲学者としての絶頂を示す仕事である」とまで言い切っていた,深い思い入れのある「経験と思想」論文を途中で投げ出してしまう.  そして思弁的な論議を脱し,踝を返して《感覚-経験-思想》の原質である「純粋感覚」へと立ち戻り,オルガン演奏に没入して《生きて在る》ことそのことへの斜度を深めてゆく.人間思索の深まりとともに,森有正の根本課題「人間が人間になる」ことが少しずつ象を顕わしてくる.}, pages = {71--105}, title = {福祉と開発の人間的基礎-森有正のレゾナンス-(中篇)}, volume = {137}, year = {2018}, yomi = {オカダ, トオル} }